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幸せの位置

もう9月も半分を過ぎましたね。年の瀬が迫ってきました。

自分の人生の中で、いつ頃が幸せだと嬉しいんだろうな、という事を考えてみました。
"現在"か"未来"か"過去"か。
"現在"が幸せというのは、友達と遊んだり仕事が上手くいくなどして、今が楽しい状態ですね。
"未来"が幸せというのは、未来のために今を頑張って生きること。
"過去"が幸せというのは、思い出の中に幸せを見出すこと。

おそらくベストなのは、過去も現在も未来も幸せなこと。
だけど、いづれかを犠牲にしなきゃならないなら、どれを取るのか。
この3つの概念は移り流れるものなので、"現在の幸せ"は"過去の幸せ"となり、また新しい"未来の幸せ"がやってくる。

漠然とした3概念ではなく、自分の人生で何歳頃が幸せだと嬉しいのかを決めるのは、人生設計として良いのかも。
40歳頃にどうこうするから、今は辛い生活を送るなど。
でも、果たしてその幸せは現在を犠牲にできるものなのか。
犠牲にするものと、手にしたものが釣り合っていない可能性はあるかも知れない。


時間という単一の概念だけで考えるから齟齬が生じるのか。
場所という概念を与えることで、よりキチンとした考えになるかも。
"どこで"幸せになりたいか。
"自宅"や"職場"、"旅行先"など、人は生活する上で様々な場所で活動します。
幸せになる場所、犠牲にする場所を絞ることによって、上記の概念に、明確な答えを与えられるかも知れない。


"現在"の"学校"を犠牲にすることで、"未来"の"職場"で幸せになる。
"未来"の"職場"を犠牲にすることで、"現在"の"学校"で幸せになる。
具体的な幸せの形は想定してないけど、犠牲にする場所が限定されると、犠牲にすることも怖くないような気がしてきた。
得たい幸せが犠牲と釣り合っているかは、まだ判らないけれど。
もしかしたら犠牲2つと幸せ1つかも知れない。


極論を言えば、犠牲などなく、常に楽しく生きたい。
けれど、手放しでそれが得られるとも思えない。
どんな技術や決断でさえ、それを得るには時間が必要になる。
そして時間は歳を取れば取るほど、一日の分も一生の分も少なくなる。
だから、幸せを無駄にしないように考えなくちゃいけないんだと思う。



とかく、幸せの定義をしないと、この話は決着しないと思うので、ここまで。
なにが幸せか、それが判らない。
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